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   <title>都立高校偏差値ランキング</title>
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   <updated>2007-10-29T15:30:13Z</updated>
   <subtitle>　人間は、ランキングが好きだ。
雑誌を見ても、テレビを見ても、インターネットの世界でも、毎日、何かのランキングが発表されている。
　まして、受験・入試となれば尚更で、検索の欄に「都立高校」と入力すれば「偏差値ランキング」が出てくる。ランキングサイトも色々で、本当に沢山ランキングがあるのだが、公けのものは、一つも無いことに気づいた。
　都立高校サイドでは、偏差値、の文字も、ランキングのらの字も無い。十数年前に巻き起こった、偏差値追放論争に思い至った。偏差値重視の当時の社会風潮を一刀両断したかに見えた、政府の、公立中学校での偏差値指導の禁止と、一斉業者テストの廃止である。禁止されたのは中学のはずであるが、都立高校を受験するのは中学生で、都立高校の偏差値ランキングのデータはそこから導かれるから、都立高校自らの偏差値ランキングが無いのだろうか。
　それにしても、本当に、政府のやることには、いつも遅いか、見当違いか、自分達のためかの三つしかない。その証拠が、今目の前にある、都立高校の偏差値ランキングに継ぐ、ランキングの山である。
どうせ禁止するのなら、それに関わる全ての範囲で禁止しなければ意味など無い。都立高校が、都立高校独自の偏差値ランキングをホームページに書けないのに、受験業者が都立高校の偏差値ランキングを書き放題というのは、なんだろう。変に一部だけ禁止などとするから、話がおかしくなる。
　ひとは、ランク付けが好きなのだ。ランク付けとは、すなわち、自分の位置付けだからである。ひいては、他人との距離、社会との距離を測ることなのだ。いい、悪いではない。
気になるものは、気になるのだ。
　都立高校の偏差値ランキングだって例外ではない。
要は、それがどうしたということなのだ。気にはなるが、それを全てだと思わないことだ。情報は情報でしかない。情報は次の一歩を踏み出すための参考でしかないのだ。
　都立高校の偏差値ランキングを見て、そんなことを考えた。</subtitle>
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   <title>都立上野高校（偏差値65）は、緑なす上野に</title>
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   <published>2007-10-29T12:30:14Z</published>
   <updated>2007-10-29T15:30:13Z</updated>
   
   <summary>　都立上野高校（偏差値65）は、緑なす上野にある、我が母校である。 もう、通って...</summary>
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      　都立上野高校（偏差値65）は、緑なす上野にある、我が母校である。
もう、通っていたことさえ、夢かと思う程の月日が経ってしまったが。
ちょうど、昔を振りかえる機会があり、都立上野高校の現在を知りたくなって、パソコンを
開いた。愕然とした。
　都立上野高校、偏差値55。
　私にとって夢のような月日は、どうやら都立上野高校にとっては悪夢だったようだ。冒頭の数字も、当時、と注釈を入れなければならない。
よく、偏差値が全てではないと言われる。偏差値でひとを判断するな、とも。
もっともだと思う。でも、いざ、自分の母校、都立上野高校の偏差値が極端に下がってい
るのを目の当たりにすると、心境は複雑だ。
　自分はなんて小さい人間なんだと思いながらも、都立上野高校が偏差値を下げた理由を
探した。わかったことは、教育改革の弊害だった。
詳細は避けるが、何年かの間にこれほどころころとやり方を変えて行く現場も珍しいのではないかと思うぐらいに、禁止や廃止や改変が繰り返されていた。政策が変われば、公立、とりわけ、都立高校などはダイレクトに影響を受ける。
　都立上野高校が偏差値を下げたことは、一校だけの問題ではなく、都立高校全体の問題だった。
ゆとり教育が唱えられて、久しい。近年、そのツケが周ってきたのか、指定授業単位数が足りないだの、学力低下だのと騒がれている。都立上野学校のホームページに偏差値の文字は無いが、十七年度から45分7時間授業（水曜は6時間）実施、難関大学への特別進学クラスの設置と書かれていた。果たして、都立上野高校は、また偏差値を上げられるのか。
　都立上野高等学校は、都立高校の中でも異色の高校である。
かの学園紛争の折に便乗し、生徒会の廃止や制服の廃止など、生徒の権利を勝ち取った歴史を持ち、以来、「自主協調」を掲げ、自由な校風で知られる。
　ホームページのトピックス欄に「標準服の導入」の文字を見た。今思えば、当時、私服だからといって、乱れた服装の生徒はひとりもいなかった。都立上野高校が偏差値を下げただけでなく、モラルまで下げていなければいいと思わずにいられない。
　偏差値は、全てではない。全てではないが、何かを示す一部ではあるのかもしれない。

      
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   <title>単に偏差値が高い都立高校とだけ</title>
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   <published>2007-10-25T12:29:18Z</published>
   <updated>2007-10-25T15:30:09Z</updated>
   
   <summary>　都立日比谷高校と聞くと、今の学生は、単に偏差値が高い都立高校とだけ認識するのだ...</summary>
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         <category term="03都立日比谷高校" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      　都立日比谷高校と聞くと、今の学生は、単に偏差値が高い都立高校とだけ認識するのだろうか。
ちょっと昔のひとであれば、都立日比谷高校が偏差値が高い、なんて言葉ではなく、ノスタルジックに、日比谷は名門高校とか、日比谷は都立高校の伝統校とか答えるのだろう。
　これはこれでいいと思う。教育改革の歴史を紐解くと学校群制度が公立校の、とりわけ、都立高校の平均化をねらった、日比谷潰しであった、とかいわれているが、この方が変な話である。（しかもまだ、偏差値が使われていない当時のはなしである。）
　都立日比谷高校が偏差値が高いのは事実であるが、それがなんだろう。長い歴史の中で日比谷高校がそれを培ってきたなら問題はないし、平均化することほど面白くないことはない。
　更に、偏差値重視の学歴社会や、特権階級のようなエリート意識を育てるから、都立日比谷高校に代表されるような偏差値の高い都立学校を潰すとかいうが、そういっているのは政府のエリート達である。普通のひとはエリートなんて鼻持ちならないと思っているし、それをみて嘲笑ったりしているので、エリートがいないとツマラナイだろう。
　そう思ってかどうかは知らないが、しばらく前から、また、都立復権を旗印に学生の学力低下を憂いて、教育現場が熱い。都立日比谷高校もまた、偏差値を上げて都立難関校の名前を取り戻している。偏差値さえ、公に復権しそうな勢いである。
　偏差値をめぐる一連の教育改革を一言でいうなら、単なるお騒がせに過ぎない。
都立日比谷高校も、偏差値もその意味では、犠牲者である。一面だけを見て、勝手な判断をされる。しかも、良い面は見てもらえないのだ。
　真の教育とは、そうではないと思いたい。

      
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   <title>都立高校も偏差値が軒並み下がったと</title>
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   <published>2007-10-21T12:28:25Z</published>
   <updated>2007-10-21T15:30:11Z</updated>
   
   <summary>　ゆとり教育の歪みが学力低下を引き起こし、都立高校も偏差値が軒並み下がったといわ...</summary>
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      　ゆとり教育の歪みが学力低下を引き起こし、都立高校も偏差値が軒並み下がったといわれている。そのゆとり教育ももとをただせば、偏差値重視へのアンチテーゼだったが。
　だが、学生の学力低下は、もとは大学生が小学生の算数で分数問題をできなかったから言われ始めたらしい。もし、これが都立高校の、俗にいう偏差値の高い学生が問題を解いていたなら、違ったのではないか。
　都立高校のいわゆる偏差値の高いひとができそうというのは、偏見かもしれないが、高校生が、大学受験に向けて、人生の中で一番基礎から勉強しなおしている頃で、都立高校がというのは基本に沿った勉強をしているのが都立高校だからで、偏差値が高いとは、ある一定の条件のもとでの平均点より上の点をとるひとのことで、都立高校で偏差値が高いのだから、変にいじくったものでなく、基礎的なことを知っていて、しかも、テストで平均よりできているひとが都立高校で偏差値の高いひとのイメージであるからである。
　つまり、都立高校で偏差値の高いひととは、普通に勉強してるだけのひとである。
　だが、おそらく、小学生の問題が解けなかった大学生も、2、3年前は、ここでいう都立高校出身の偏差値の高いひとだったりするのだ。人間は関心のないことは忘れる。これは
仕方のないことである。それより、ここで本当の問題が見えてくる。
　本当の問題は、偏差値や、学力の低下ではなく、記憶力の低下、そして、それは学問への関心の無さなのである。
　日本の教育は、都立高校の偏差値問題が騒がれるように、テストの結果だけを問題とし、偏差値を偏重し、深く考えさせるということをしてこなかった。深く考えると言うことは、深い関心を対象に向けると言うことである。そのきっかけとなるのが好奇心や探求心であろう。悲しい事に、それは都立高校でも私立高校でも教えていない。
　まして、偏差値で計れるものではないだろう。

      
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   <title>私が、高校入試で都立を選んだのが</title>
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   <published>2007-10-18T12:25:44Z</published>
   <updated>2007-10-18T15:30:10Z</updated>
   
   <summary>　「私が、高校入試で都立を選んだのが20数年前、偏差値は当時65ぐらいあった。当...</summary>
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      　「私が、高校入試で都立を選んだのが20数年前、偏差値は当時65ぐらいあった。当時はまだ、都立高校の入試制度は、学校群制度であり、確か52群だった。」この文章で、今でも通じるのは、高校入試で都立を選んだ、というところだけである。あと、偏差値という言葉もあることはある。件の偏差値論争から、偏差値の文字が公の進学指導や入試の模擬試験から姿を消したらしいが、どっこい裏でおおでを振って歩いている。
　ふたむかしの間に都立高校などでも入試制度の変更など、色々あったようだ。偏差値や、入試制度はどうでもいいが、都立高校は無くなって欲しくない。都立高校は入試の費用も、学費もとにかく安く、私立の高いところの約二十分の一だ。都立高校の利点である。
　都立高校のもうひとつの利点は、自由な校風である。私立は各学校で特色があり、その分決め事が多い。都立高校は自由で絞めつけがなかった。
　但し、これまでは、である。数年前から、ゆとり教育の不完全さから、都立高校の偏差値低下が囁かれており、入試傾向でも、都立高校離れが起こって、各方面から都立復権が望まれるようになってきた。各都立高校でも独自の補習時間を作ったり、入試問題を作ったりと、見方によっては入試をめぐって、偏差値教育復権にもとれる動きが起こり始めている。
　もともと、都立高校の入試に偏差値教育の弊害が出て、ゆとり教育を始めたのだ。なのに、そのゆとり教育にゆとりが無くなってくると、もとの道に戻ろうとする。
日本の教育はぐるぐるとさ迷っている。そのために生徒達が道を見失わなければいいと切に願う。
      
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